広島市安佐南区祇園にある新羅神社。
広島経済大学の近くにあります。
神羅神社
広島市安佐南区祇園5丁目25-52
| 鳥居 |
| 拝殿 |
| 本殿 |
| 神木 夫婦ひのき |
| かなり急です |
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| 鳥居 |
| 拝殿 |
| 本殿 |
| 神木 夫婦ひのき |
| かなり急です |
むかしは「水晶ヶ城」の山麓に小さな祠があり、祭られていましたが、延暦年間(782~805年)に、石打村の氏神として崇められました。境内には大樹が多く、広島市の重要文化財に指定されている「掛仏」が安置されています。日本近代洋楽の祖と言われる永井建子(ながいけんし)(石内生まれ)の記念碑があります。
【御祭神】
・主祭神
帯仲津日子命、息長帯日賣命、品蛇和気命
・相殿神
伊邪那岐命、武内宿祢命、宗像三女神、大歳神、稲田姫命、須佐之男命、佐田彦大神、大宮能賣大神
【由緒】
本社は創建不詳と雖も元佐伯郡坪井村字椿原に屋代、三宅、坪井、千同、倉重、保井田、寺田、寺地、中須賀、口和田、高井、利松、皆賀、井口、五日市の近隣十五箇村の総氏神社と有りしを天文年中の暴雨、宝永年中の大風雨にて山谷潰崩し社殿流損した。
宝永七年八月十五日皆賀村八幡神社へ暫時鎮座し、明治八年六月六日摂社新宮神社改修の節遷座し社名を八幡神社と改称す。
尚、明治四十五年四月十八日地毛村大歳神社、大正十年一月三十一日皆賀村八幡神社を合祀する。
「神社明細帳より」
琴毘羅神社(こんぴらさん)の由来
【御祭神】
大物主命・崇徳天皇
【御例祭】
元旦祭(大晦日・元旦)、夏祭り(7月)、秋祭り(11月2日・3日)
【由緒】
創建の時期は不明、古老の言い伝えよると、亨保4年(1719年)頃、四国の金刀毘羅社より分祠して中中調子部落に祀られた。(抜粋)
【御祭神】飽速玉男命(あきはやたまおのみこと)
【御神穂】
安芸国の総鎮守(安芸の総氏神)として篤い崇敬をあつめ、交通安全、殖産興業、延命招福の守護神として、その霊験は真にあらたかです。ご鎮座の年代は詳かではありませんが、国造の子孫や安芸国の人々がご祭神の薨後、その恩徳を敬慕して奉斎した千七百有余年前の古社です。
【由緒】
嵯峨天皇の御代、弘仁二年に名神に列し、清和天皇の貞観元年、従五位上であった神階を従四位下に進め、貞観九年には従四位上に進められました。
醍醐天皇の延喜五年の「延喜式神名帳」によれば、当社は名神大社に列せられ、国家鎮護の神社として毎年月次、祈年、新嘗の三祭に神祇官の奉幣にあずかり、当時いかに朝廷の崇敬に篤かったかがわかります。
延喜式所載の安芸国三社(速谷神社、厳島神社、多家神社)のなかでは、当社だけがこの殊遇をうけ、安芸・備後国はもとより、山陽道八か国でも最高の社格を誇りました。
朱雀天皇の承平五年、藤原純友の乱に、朝廷は騒乱の平定を当社含めて全国十三社に祈願され、まもなくその乱が鎮定したので、神階を正四位下に進められました。
室町時代からは当国桜尾城主だった藤原親実以下歴代の城主、府中の田所氏、ついで周防の大内氏、芸備の大守毛利、福島・浅野諸氏も当社を深く崇敬し、神宝社領を寄進し神殿の造営修復を行いました。
大正十三年、国幣中社に列格、昭和二十一年官制廃止により、神社本庁所属の別表神社となりました。